幸せのあひるメジャー

子供のころ、何かが欲しくて駄々をこねて、それを買ってもらえた記憶がない。よくいる子供と同じようにショッピングモールの床に座り込んで泣くわたしに見向きもせずに母はどんどん歩いて行った、一度も振り返らずにどんどん小さくなる母を見てわたしは、あ、捨てられると思って焦る、慌てて追いかける、母に追いついたときにはもう、何が欲しくて泣いていたのかもわからなくなっていた。だから、わたしはものが欲しくて駄々をこねたことがほとんどない。もうすこし大人になってから、あなたは駄々をこねない子供だったのよと自慢気に話す母を見てなぜか安心した。ああ、あれでよかったのだと思った。うれしかった。高速道路のサービスエリアに置いていかれたことがある。これはすごくよく覚えている。家族で買い物へ行った帰りに、わたしが欲しかったけど言い出せず、お小遣いも足りず、買えなかった黒い小さな猫のぬいぐるみのことを思い出して、どうしてもやっぱり欲しくなって車の中で堰を切ったように泣き出した。買ってほしいと言えなかった自分への怒りとそんなふうにした両親を責める気持ちと罪悪感と愛らしいぬいぐるみのすがた合わさって気持ちをぐちゃぐちゃにした。車はサービスエリアに入るとわたしを駐車場に置いて走り出した。それを見て頭が真っ白になった。すなと鼻水と涙でべたべたの顔でありったけの声でごめんなさいを言った。もちろんそれは泣き止まないのなら置いていきますよという意味であって車はすぐに引き返してきたけど、それから何日も眠れなかった。わがままを言わない子供に育てるための正しい教育だった思う。親と子というものに正解はないとも思う。実際わたしはわがままを言わない子供に育った。でもいまでもその夢を見る。この間、妹の受験のつきそいで母が東京に来たので二人で食事をした。久しぶりに会った母は年をとって顔つきが優しくなっていた。食事をしながらこの間の佐世保の事件の話題になったときに、つぶやくように言った 「でもやっぱり、みんなが幸せな家族なんてそんなにないのよ。なんでも話せて、なんの問題もない親子なんて、いないのよ。」あきらめたような、なぐさめるような口調だった。